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村上春樹とフィッツジェラルド

 村上春樹氏が先頃、スコット・フィッツジェラルドの小説『グレート・ギャツビー』の翻訳を出版されています。

グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)

グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)

 2006年11月24日の読売新聞においては、メール交換による村上氏のインタビューが掲載されており、大変興味をそそられたので、紹介したいと思います。

 村上氏にとって『グレート・ギャツビー』は「人生で最も大切な小説」であるようです。『ノルウェーの森』のあとがきの中でも村上氏は、フィッツジェラルドの『夜はやさし』と『グレート・ギャツビー』について

「僕にとって個人的な小説である」

と述べておられます。

 フィッツジェラルドは、アメリカの1920年代を生きた作家です。アメリカの20年代といえば、バブル景気に沸き返り、人々は華やかな生活を繰り広げていた時代だったといえます。自動車が急速に普及していったのも、新型フォードが誕生したのもこの時代です。フィッツジェラルド自身も、そうした時代において、パーティーやナイトクラブなどに明け暮れる華やかな生活を謳歌していたようです。
 そうした華やかな時代が大恐慌の到来によってあっという間にどん底へと転落し、その後、世界は第二次世界大戦へと突入していくことになるわけですが、とにかく1920年代のアメリカは歴史的に見ても極めて特殊な状況にあったわけです。

 ちなみに、この時代のアメリカを描いた最高傑作といえば、F.L.アレンの名著『オンリー・イエスタデイ』です。この中で鮮やかに描き出されているアメリカは、ミニスカートが流行するなど道徳の頽廃が観察されたり、誇大宣伝が飛び交い、政治のスキャンダルが噴出するなど、「バカ騒ぎ」という言葉がふさわしい状況でした。『オンリー・イエスタデイ』は、そうしたアメリカ社会を1931年の時点において振り返った作品として、時代のドキュメンタリー作品としての新たなスタイルを確立したものだといえます。

オンリー・イエスタデイ―1920年代・アメリカ (筑摩叢書)

オンリー・イエスタデイ―1920年代・アメリカ (筑摩叢書)

 『グレート・ギャツビー』も1920年代のアメリカを舞台にした小説です。ニューヨーク郊外のロングアイランドに大邸宅を構えるギャツビーは、毎晩のように大勢の人々を集めてパーティーを開いてはどんちゃん騒ぎを繰り広げます。しかし、ギャツビーのそうした華美な行動の裏には、かつて失った女性が来るのをひたすら待ち続けるというギャツビーの別の顔が隠されていた。そうしたギャツビーの行動を、ニックという第三者の語り手が冷めた視線で眺めているわけです。

 新潮文庫の翻訳者である野崎孝氏は解説の中で、このギャツビーとニックという2人の登場人物がそれぞれ作者フィッツジェラルドの分身であると指摘され、

「こうして作者が、分裂しながら互いに牽引し競合し反応し合う内面の二要素を、それぞれ二人の分身に仮託し、一方を語り手として設定したところにこの小説の成功の大きな要因がある」(新潮文庫版『グレート・ギャツビー』p258)

と述べておられます。

グレート・ギャツビー (新潮文庫)

グレート・ギャツビー (新潮文庫)

 さて、村上氏は、『グレート・ギャツビー』が描かれた時代背景について、次のように述べておられます。

フィッツジェラルドの文学がテーマとしていたものごとのひとつに「成熟」があります。個人の成熟、そして社会の成熟。1920年代というアメリカ社会がきわめて特殊な状況にあった時代に、彼自身の20代を迎えました。そこでは彼自身の青春期と、社会の青春期とが密接に呼応し、一体化していました。アメリカは未曾有の好景気を満喫し、彼は若くして名声を満喫していました。」
(2006年11月24日読売新聞)

 フィッツジェラルドはこうしたアメリカ社会の表面的な喧噪に隠された影の面を『グレート・ギャツビー』の中で巧妙に表現しています。この点について村上氏は次のように述べておられます。

「この『ギャツビー』はそのようなイノセントな発熱によって、きわめて自発的に生み出された作品であると言っていいかもしれません。しかしそのような事実とは裏腹に、作品の内容そのものは決してイノセントではありません。フィッツジェラルドは明らかに、その喧噪の中に不吉な響きを聞き取っています。
 彼はニックの視線を通して「ここには何か間違ったものがある」と感じ続けていますし、物語の進行の中に成熟の可能性を真摯に希求するのですが、その希求は現実の喧噪の中にむなしく呑み込まれ、実を結ばないまま失われていきます。
 それから大恐慌と不況の1930年代がやってきます。華やかな20年代とはうってかわって、ひどく薄暗い時代です。
 フィッツジェラルドもその時代に、人として作家として成熟し、同時にアメリカ社会も成熟しました。どちらも内省的になり、それなりに成熟せざるを得なかったわけです。」
(2006年11月24日読売新聞)

 少し長い引用となりましたが、村上氏は『グレート・ギャツビー』の中に、成熟した近代社会の在り方のヒントを見出そうとしているように感じます。バブルのような経済的、物質的な豊かさが「成熟」を意味するのではなく、本当の「成熟」の在り方は人々の内面の問題なのだというメッセージを読み取ることができるような気がします。その意味で、『グレート・ギャツビー』という小説は、アメリカ社会と作者フィッツジェラルドの1人の人間としての成熟過程が重なり合った時期に書かれたものであるという意味で、重要な示唆を与えてくれる小説へと仕上がっているのだと思います。

 村上氏は『グレート・ギャツビー』が今日の日本に与えてくれる示唆について、次のように述べておられます。

「これはおそらく日本のバブル経済と、その破綻と、「失われた十年間」に相当するのではないかと僕は考えています。日本社会もやはりそのような段階を通り過ぎることによって、ひとつの成熟を遂げたのではないかと僕は考えています(というか、そう考えたいと思っています)。そういう意味では、今こそ『グレート・ギャツビー』が、日本の読者にある種の実感を持って読まれていいのではないでしょうか。」
(2006年11月24日読売新聞)

 考えてみれば、戦後の日本社会は、ある種の「バカ騒ぎ」が繰り返し繰り広げられてきています。1つは「昭和元禄」と呼ばれた1960年代後半から1970年代前半にかけての時代、それからもう1つは言わずと知れた「バブル時代」です。こうした「バカ騒ぎ」の後には、決まってぽっかりとした空虚な時代が訪れ、あの時代は何だったのか、という冷めた目線で過去を振り返ることになるわけです。

 では、「バカ騒ぎ」の時代というのは無意味な時代であったのかと問われれば、我々として、そうではなく、それは成熟へと向かう一過程だったと思いたいのは当然の心情でしょう。日本社会は「バカ騒ぎ」を繰り返しながら成熟に向かっているのだ、と思いたい気持ちに駆られるのは当然です。

 しかしながら、何をもって「成熟」と考えるかは極めて難しい問題です。村上氏が上記引用の中で

「日本社会もやはりそのような段階を通り過ぎることによって、ひとつの成熟を遂げたのではないかと僕は考えています(というか、そう考えたいと思っています)。」

と括弧書きの留保を付けているのも、村上氏自身、日本社会が本当に「成熟」を遂げているのか確信を持ちきれていない現れといえます。


 現代の日本社会も、「成熟」の在り方について悩んでいる状況なのだと私は考えています。というか、世界中の先進国が未だに「成熟」の在り方についての解を見出せず、模索し続けているのだと思います。
1920年代には喧噪を抜け出していたアメリカ社会ですら、「成熟」しきった社会と見ることはやはりためらわれます。

 しかし、「成熟」社会の在り方のヒントは、やはり「バカ騒ぎ」の時代に隠されていることは間違いないのではないかと思いますし、今日の日本社会が1920年代のアメリカを描いた『グレート・ギャツビー』から学ぶべき点は多いと思います。村上氏の一連の指摘には全く同感です。

 ちなみに、フィッツジェラルドは、大恐慌を境に急変した1930年代のアメリカ社会からたちまちにして忘れられ、過労と酒がもとで健康を崩していったようです。社会が「成熟」を遂げることがいかに難しいかということを、このフィッツジェラルドの送った生涯が象徴しているような気がします。