映画、書評、ジャズなど

「硫黄島からの手紙」★★★★

硫黄島からの手紙 期間限定版 [DVD]

硫黄島からの手紙 期間限定版 [DVD]

 この映画はクリント・イーストウッド監督の硫黄島二部作の第2弾であり、第1弾の『父親たちの星条旗』がアメリカ側の視点で描かれたものであるのに対して、本作は日本側の視点で描かれたものです。

 硫黄島の戦いは、日本軍の守備兵力20,933名のうち20,129名が戦死したという大変悲惨な戦いであったことが知られています。硫黄島は本土爆撃の拠点基地として米国の上陸が予想された島であり、日本軍としてもこの島は何としてでも死守しなければならない島だったわけです。

 当時、制海権と制空権を米国に奪われていた状況の中で、日本軍の敗戦は当初から分かりきった結果であったともいえるものでした。そういう絶望的な戦闘を現場の個々の兵士たちは一体どのような心境で戦い、どのような状況の中で亡くなっていったのか、この作品は、そうした視点でこの戦いを描き出した映画です。

 この映画で何と言っても光っていたのは、二宮和也です。彼はご存知のとおり、ジャニーズ事務所のアイドルグループ「嵐」のメンバーで、見るからに「今どき」の若者です。実際に第二次世界大戦に送り込まれた兵士の多くは、(当時における)「今どき」の若者たちだったに違いありません。二宮演じる西郷は、硫黄島に送り込まれるまでは、夫婦でパン屋を細々と営む青年でした。それがある日突然、召集がかけられ、戦地に送り込まれます。戦地においても、残してきた妻と当時お腹の中にいた子供のことが気がかりで頻繁に手紙を書きます。

 しかし、家族を思う気持ちは、敵の米兵であっても全く同じです。この部隊には、かつてロサンゼルス五輪で金メダルを取った西竹一がいた。西は米兵の捕虜と話をし、そして彼が大事にしたためていた親からの手紙を見て、彼も本国に無事の帰還を待っている親を持つごくごく普通の兵士であることを知ります。

 結局、戦争というのは国と国との戦いであるものの、戦争の現場においては、ごくごく普通の市民が、同じくごくごく普通の市民である敵の兵士と死を賭して戦っているものなのだ、というごく当たり前の事実に気づかされます。そして、二宮和也というキャラクターがそうしたメッセージを与えるのに大きく貢献しているように思います。

 この映画は、映画史の学者、学生や教育関係者らで組織する「ナショナル・ボード・オブ・レビュー」が2006年の最優秀作品賞に選んだとのことで、アカデミー賞レースも注目されましたが、結局オスカーはなりませんでした。ただ、この映画の中では、日本軍が米兵の捕虜を殺さずに手当てしているシーンがあるのに対して、投降して捕虜となった日本軍の兵士を米兵が射殺するシーンもあり、アメリカではどう評価されるのか少し気になったのですが、アメリカでの評判も上々なようで、少し安心しました。

 ところで、昨年12月9日の読売新聞夕刊に「硫黄島戦「映画より悲惨」」と題する記事が掲載されていました。硫黄島の生き残りの元兵士の方が証言しているのですが、この方は『父親たちの星条旗』を見て、

「自分たちの戦いや島の生活を扱っていない。何か紙芝居を見ているようで、途中で出て来た」
「現実の戦争は映画以上に悲惨でむごいものだった」
(2006年12月9日読売新聞夕刊)

と述べられているとのことです。

 私は『父親たちの星条旗』を見ていないのですが、同じ監督の作品ということからすれば、この方が『硫黄島からの手紙』を見ても、もしかしたら同じような感想を持たれるのではないかと推測しました。正直、『硫黄島からの手紙』を見ていても、思わず目を覆いたくなるような残虐なシーンが数多くありましたが、現実がそれよりもはるかに悲惨なのだとすると、それはもはや我々には想像だにできない世界ということなのかもしれません。

 この方が次のように述べておられます。

「あれだけの島での苦しい、みじめな戦闘が世間で知られてない」
(2006年12月9日読売新聞夕刊)

 この言葉は非常に重いです。日本人全体に向けられた言葉といえるでしょう。
 私は時々、戦後日本社会というのは、戦争で亡くなった方々を忘却することから始まっているのではないかと感じることがあります。日本人は戦争で犠牲になったり、傷を負った人たちを心からねぎらっていないのではないかという気がするわけです。例えば、戦後初期の映画の多くには、帰還兵の問題が取り上げられていますが、そこで描かれる帰還兵たちは、戦後の日本社会のあまりの変貌にとまどい、社会になじめずに孤独にさいなまれている姿が描かれていることが多いわけです。終戦後に戦地からようやく帰還してみれば、ついこの間まで命をかけて戦っていた米兵たちが町を闊歩し、しかも日本人の女性が米兵と腕を組んで歩いている光景を目の当たりにした帰還兵たちの心中はどのようなものであったでしょうか。また、最近でも相変わらず靖国問題が政治問題化され、靖国神社で戦死者を弔おうにも、政治的な論争に巻き込まれてしまうわけです。

 映画の中でも、栗林中将が次のように述べるセリフがあります。

「何年も経ったら、君たちの事を皆が思い出し、魂に祈りを捧げてくれるだろう」

 私たちは、果たして、国のために亡くなった人たちのことを思い出し、魂に祈りを捧げているといえるのでしょうか?大いに反省する必要があるのではないでしょうか。