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「殯(もがり)の森」★★★☆

 次に御紹介するのは、河荑直美監督の「殯(もがり)の森」です。

 この映画も、カンヌ国際映画祭パルムドールに次ぐグランプリ(審査員特別大賞)を受賞したことで、大いに話題になりましたね。

 この映画は、公開前にもかかわらず5月29日のNHKBSにおいて放送されています。極めて異例なことですが、カンヌで受賞する前から放送はすでに決まっていたようです。

 河荑監督は、97年にもカンヌ国際映画祭で、「萌の朱雀」という映画でカメラドール(新人監督賞)を受賞しており、早くから注目されてきた監督のようですが、今回の受賞で、一層の注目を浴びることとなりました。

 ドキュメンタリー出身の監督らしく、映画は全体を通じて派手な演出などは一切なく、静寂に包まれながら、必要最小限のセリフのみでストーリーが展開していきます。舞台は河荑監督のふるさとでもある奈良の山間地のグループホームで、ここに入所する認知症の老人しげきと、ここで働く介護福祉士で、自分の子供をなくしたばかりの真千子との間の心のふれあいが描かれています。ある日しげきと真千子は、しげきの亡くなった妻の墓参りに車で出かけますが、途中で車が脱輪し、真千子が助けを探しに行っている間にしげきは森の奥深くへと進んでいってしまい、それを追って真千子も一緒に森の中に入っていきます。この森の中でのしげきと真千子の心のふれあいがこの映画のシーンの中心を占めています。

 この映画の面白いところは、主人公で認知症のしげきを演じた「うだしげき」という方は、映画はもちろん演劇の経験すらなく、地元で河荑監督の映画活動を支援してきた方だという事実です。認知症という難しい役所を見事に演じています。(ちなみに、真千子を演じた尾野真千子という女優さんは、中学時代に河荑監督の「萌えの朱雀」に出演されて、その後NHKの朝の連続小説でも活躍された方のようです。)

 この映画では、「人間」と「自然」との関係が、「生」と「死」という主題を通じて描かれています。つまり、「人間」と「自然」は一体の存在なのだというメッセージです。しげきが妻の墓に寄り添い、一心不乱に妻の墓を掘り続ける最後のシーンは、監督の思い入れも強かったようですが、「人間」が死後に「森」と一体化することを象徴的に表現したこのシーンは、この映画の主題のコアだといえるでしょう。

 また、この映画には、河荑監督自らの介護経験が色濃く反映されています。河荑監督の育ての親が5年前に認知症と診断され、その介護の中で河荑監督は精神的にも追いつめられたとのことです。河荑監督は記者会見の場で認知症について次のように述べています。

「その人たちの病気というのは、認知ができなくなっているだけの話で、感情がなくなったわけではない。そしてもっといえば、魂そのものの尊厳というのはやっぱりあるわけで、そういう風なところを現代人は見失っているのではないか…」

 こうした河荑監督の死生観や認知症に対する考え方が、欧米の人々の心を打ったわけです。もともと、欧米の思想では、「自然」は、「人間」と対立する存在であり、征服する対象として捉えられています。これに対して、日本人は「人間」は「自然」の中のちっぽけな一部だという考え、「自然」を畏怖してきたように思われます。

 地球環境問題がますますグローバルな問題として取り上げられてきている中で、人間の自然観を抜本的に改めることが、その解決にもっとも近いのではないかと思います。技術の力によって自然環境をコントロールして地球環境を守っていくことは短中期的には有効かもしれません。しかし、もっと何百年、何千年というスパンで考えたとき、人間は自然を畏怖し敬っていた昔の思想を取り戻していくことが必要なのではないかという気もします。

 欧米の人たちが、自らの思想に対する反省の念と共にこの映画を見て、そして賛辞を送ったのだと信じたい気持ちにかられます。