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藤岡靖洋「コルトレーン」

コルトレーン――ジャズの殉教者 (岩波新書)

コルトレーン――ジャズの殉教者 (岩波新書)

 ジョン・コルトレーンの生涯を描く中で、アメリカのモダン・ジャズの歴史や社会的背景が浮かび上がってくる本です。日本のジャズ本の中でこれまで見たことがないほど、非常に綿密な調査に裏付けられた本で、これまでのジャズ本とは明らかにレベルが違います。

 冒頭に取り上げられているのは、1966年のコルトレーンの来日会見。この来日時のスケジュールは極めて強行軍で、その1年後にコルトレーンは40歳で亡くなることになります。また、このときの演奏についても、賛否両論だったそうです。その来日会見での謎めいたやりとりが本書で触れられています。

質問:あなたは、いまから10年、20年後、どのような人間になりたいですか?
コルトレーン:I would like to be a saint.(laugh)
質問:聖者になりたい?
コルトレーン:Definitely!

 また、この会見でコルトレーンは、尊敬する三人のミュージシャンとして、ラヴィ・シャンカル、オーネット・コールマン、カルロス・サルセードの3名を挙げていますが、その意味についても、本書の最後で明らかになります。

 まず、コルトレーンの生い立ちですが、彼の祖先はプランテーションの労働力としてアメリカに連れられてきた奴隷でした。そして、幼少の頃、牧師であった母方の祖父の多大な影響を受けていたようです。幼少の頃のコルトレーンは中流の黒人居住区に住んでいましたが、ある時期、家族を相次いで亡くします。そしてコルトレーンは、住み慣れた街を離れてフィラデルフィアに向かいます。

 その後、海軍に入隊し、そこで録音したレコードがマイルス・デイヴィスの耳に届きます。マイルスはコルトレーンに自分のバンドへの参加を誘い、『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』を録音しますが、この経験はコルトレーンの人生に計り知れない影響を与えます。

 しかし、コルトレーン麻薬中毒に堪忍袋の緒が切れたマイルスはバンドを解散してしまいます。その後にマイルスが録音した『マイルス・アヘッド』の録音に誘ってもらえなかったことで、コルトレーンは悔しい思いをします。

 やがて、コルトレーンは「シーツ・オブ・サウンド」に開眼します。この「シーツ・オブ・サウンド」とは、藤岡氏によれば、

「空間を音で埋め尽くすかのように、連続した細かい音符を連射砲のように繰り出す。まるでシーツ(敷布)のように至るところにビッシリと音が敷き詰められている様」

を指します。この開眼のきっかけとなったのは、録音に誘ってもらえず悔しい思いをしたマイルスのオーケストラ作品でした。

 こうしてコルトレーンは、麻薬から足を洗い、来日会見時に尊敬する人物として挙げられたサルセードのハープ理論やストラヴィンスキーバルトークの現代音楽研究も重ね、頭角を現し始めます。そして、マイルスは1958年に再結成したバンドにコルトレーンを再び招き入れ、名盤『カインド・オブ・ブルー』を録音しました。

 ところで、コルトレーンがマイルスに解雇された際に手を差し伸べたのが、コルトレーンと同郷のセロニアス・モンクでした。モンクはコルトレーンに、ひとつのサックスから同時に複数の音を出す方法などを伝授します。モンクはこの時期、マンハッタンのイースト・ヴィレッジにある「ファイブ・スポット」で即興演奏の全く新しいスタイルの音楽を生み出していました。

 さて、マイルスから解雇された後、コルトレーンは『ブルー・トレイン』や『ソウルトレーン』といった名盤を録音します。そして、ソプラノ・サックスを手にして「マイ・フェイヴァリット・シングス」を演奏することで、いわゆる「シーツ・オブ・サウンド」が成し遂げられたと著者は指摘します。

 著者の指摘で最も興味深いのは、コルトレーンが音楽を通じて「静かなる抵抗」を試みていたという指摘です。

 「ダカール」は、セネガルの首都ですが、それは奴隷売買の象徴的な土地です。『バイーヤ』はニューオリンズと共に奴隷船着岸地の代表の一つであるブラジルの地名。『バカイ』は北部生まれの黒人少年が夏休みに南部に遊びに来ていたときに白人女性に声をかけられただけで凄惨なリンチを受けて殺された事件を背景とした曲。『アンダーグラウンド・レイルロード』は、白人のクエーカー教徒らを中心にした地下組織が奴隷解放のため定めた秘密ルートを指します。また、アラバマ州バーミングハムの教会の日曜礼拝でKKKが仕掛けたダイナマイトによって4人の黒人少女が犠牲となった事件を受け、コルトレーンは『アラバマ』と『ユア・レイディ』を録音します。

 著者の次の指摘は、私も深い共感を覚えます。

「あからさまに言葉には表さず、燃える闘志は内に秘める。その秘める闘志が演奏に強く反映し、「怒れる若きテナーマン」と比喩された時代もあった。筆者がもっともコルトレーンに弾かれるところである。」

 コルトレーンは1959年にアトランティック・レコードと契約を結びますが、そこで『ジャイアント・ステップス』を録音します。コルトレーンは、ニコラス・スロニムスキーの理論書にヒントを得て、ジャイアント・ステップスの作曲の基礎としたそうです。このアトランティック時代にコルトレーンは作曲の没頭し、更なる飛躍のために確実に歩を進めます。
 次のインパルス時代は、『アフリカ/ブラス』を録音し、オーケストラをバックに演奏する念願を叶えたものの、売れ行きは今ひとつ。その後のアルバムも不評だったため、スタンダード・バラード集の『バラード』『デューク・エリントンジョン・コルトレーン』『ジョン・コルトレーン・アンド・ジョニー・ハートマン』の3作を立て続けにリリースしますが、これらはいずれも大ヒットし、今でも不朽の名盤として名を残しています。

 やがてコルトレーンは、長年構想を重ねてきた組曲をインパルスで録音することを決意し、『至上の愛』をリリースします。この時期、コルトレーンは4人の女性との関係を清算する決意をします。1964年の晩夏、コルトレーンは新居の書斎に数日間閉じこもります。何日かぶりに部屋を出たときのコルトレーンの様子は、新妻アリスによれば「まるで預言者モーゼがシナイ山から十戒を携えて降りてきたようで、素晴らしいもの」だったそうです。こうして『至上の愛』が完成するのです。

 彼はこのアルバムを通じて、自らの不倫について神に懺悔しているわけですが、著者が、コルトレーンの懺悔は「自分の選択を寛大な心で許してほしい」という意味の懺悔であり、自ら信じる決意をした自分への許しを乞うている、と指摘しているのは興味深い点です。

 しかし、その後のコルトレーンの演奏はますます難解を極めるようになり、賛否が極端に分かれるようになります。長年のバンドメンバーのマッコイ・タイナーエルヴィン・ジョーンズも離れていきます。観客の拍手もまばらでブーイングも増えていきます。

 著者は、こうしたコルトレーンの変貌の背景には、ニューヨークにおけるロフトの台頭と、ハーレムを中心とするブラック・アート・ムーヴメントの勃興があると指摘します。

 著者によれば、「ロフト」とは、

「工場や倉庫、または屋根裏部屋のようなスペースにミュージシャンやダンサー、詩人、画家などアーティストたちが集まって、日夜、芸術の実験をくり広げる」

ようなスペースを指します。この時期、ジャズ・ミュージシャンたちは、活動の場が狭まっていく中、ロフトやコーヒーハウスへシフトしていったとのこと。リー・モーガンが愛人に射殺された「スラッグス」も代表的なロフトの一つだそうです。コルトレーンもロフトに足繁く通い、パーカッションに傾倒していきます。また、こうしたロフトが活動できた背景には、ブラック・アート・ムーヴメントが関係あったと著者は指摘します。「バック・トゥ・ザ・ルーツ(故郷アフリカ回帰)」を目指すこの運動が勃興した背景には、ニクソン大統領がベトナム戦争から人々の関心をそらすために芸術プロジェクトを積極的に推進していたことがあり、だからロフトが活発に活動できたというわけです。こうした活動の拠点となったのが「オラトゥンジ・アフリカ文化センター」です。コルトレーンもオラトゥンジに出会い感銘を受け、オープニング・コンサートで演奏しています。

 コルトレーンの死は突然訪れます。長年の麻薬と深酒がたたり、肝臓癌を患っていたのです。

 本書では最後に、コルトレーンが尊敬する人物として挙げているカルロス・サルゼードとラヴィ・シャンカルについて触れられています。カルロス・サルゼードは、クラシックのハープ奏者ですが、コルトレーンはサルゼードの音楽に対する姿勢や曲に大変惹かれ、ハープはコルトレーンの思い描くコズミックな広がりを持つ音楽像を具現化する上で必須の楽器だったとのこと。ラヴィ・シャンカルはインドのシタール奏者で、ノラ・ジョーンズを娘に持つ人物だそうです。ジョージ・ハリスンもラヴィ・シャンカルとの交流から「ラバー・ソウル」でシタールを演奏しています。シャンカルはコルトレーンのアルバム『オーム』を聴き、「この音楽のいったいどこに、人々を幸せにする「静寂」、「安らぎ」があるのだろう?」「聖言オームの後につづくシャンティ(静寂)の意味を、君はわかっていないね」と厳しく諭し、コルトレーンは大変な衝撃を受けたそうです。


 さて、以上、本書のあらすじを私なりにたどってみました。

 単にコルトレーンの音楽性をたどるだけでなく、その歴史的・社会的背景にきちんと言及されている点で、本書は正に一級の学術書と言えるでしょう。これまで言及されていなかった文献にも当たっており、その意味でも非常に価値の高い研究書です。

 近年のジャズ研究や評論がどうしても一ファンによる論評の域を出るものではなく、非常につまらなくなっていることを、大変嘆かわしく思っていましたが、こうした斬新な研究を目の当たりにすると、今後の研究の方向性が見えてくるような気がします。

 ジャズの歴史は特定の傑出したミュージシャンの人物に依存するところが大きかったため、やはり人物像に着目しながら論じることが必要不可欠です。コルトレーンだけでなく、今後は他のミュージシャンに着目しつつ、社会背景と絡めて描写するようなことができれば、ジャズ研究はますます面白くなっていくような気がします。

 久々に快心のジャズ本でした。