映画、書評、ジャズなど

「くちづけはタンゴの後で」★★★☆

 

 1996年公開の作品です。この時代を象徴するかのような甘いメロドラマで、今の時代の目線で見ると、やや馴染めない面があることも否めません。

 

田舎からNYにやって来た18歳のコニーは、最初に出会ったスティーヴという男の虜になってしまい、同居を開始する。しかし、コニーが妊娠したことを知ったスティーヴは、コニーを家から追い出して、別の女と同居を始める。

大きなお腹を抱えて途方に暮れたコニーは、街をさまよった挙句、間違ってボストン行きの列車に乗り込んでしまう。もちろんチケットは持っていないのだが、そんなコニーを助けてくれたのが、ヒューという男だった。ヒューは新婚の妻で妊娠しているパトリシアを実家に連れていく途中だった。

しかし、そこに悲劇が起こる。3人が乗った列車が大事故を起こしてしまったのだ。ヒューとパトリシアは命を落としたのだが、コニーは生き残る。しかし、コニーは病院でパトリシアと間違えられていたのだった。

お腹の子供は無事出産。ヒューの母親は孫との対面を楽しみにしていた。ヒューの実家は大金持ち。コニーは流れに身を任せてヒューの実家へ。そこにいたのは、ヒューと瓜二つの双子の弟ビルだった。

ビルは当初、コニーに不信感を抱き、コニーが何かを隠しているのではないかと疑っていたが、次第にコニーに好意を抱くようになる。

そんなコニーの生活を知ったスティーヴは、コニーたちからお金を巻き上げようと脅しに来る。憤ったコニーは、モーテルに泊まっていたスティーヴを殺しに向かうが、スティーヴは既に殺害されていた。

コニーとビルの結婚式の当日、警察がやって来たが、そこで判明したのは、殺人犯はコニーがスティーヴの家を出ていった後にスティーヴが付き合っていた女だった。。。

 

 

トーリーがあり得ない設定だというのは映画作品としてはよくある話ですが、この作品が今ひとつしっくり来ない理由は、ビルがコニーに好意を寄せるようになった背景がどうも説得力がない点に尽きるように思います。

コニーは大富豪のヒューの実家に入りますが、粗野なふるまいや言動を繰り返し、着飾ってもさほど美しさや上品さが生まれているわけでもなく、しかも、自分がパトリシアだと嘘をついているわけで、どう見ても、ビルがコニーをどうしようもなく好きなる理由がないのです。

だから、ビルとコニーがタンゴを踊っているシーンも、本来は美しいクライマックスのはずなのですが、どうもしっくりこなかったというのが本音です。

 

この作品の一番の見どころは、ヒューの母親を演じるシャーリー・マクレーンが孫を抱きかかえながら♪On the Sunny Side of the Streetを歌うシーンでしょう。


Shirley MacLaine - On the sunny side of the street.wmv

 

「ノートルダムのせむし男」★★★★

 

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ヴィクトル・ユーゴーの小説を映画化したものです。

醜い容姿の鐘楼守カジモドがジプシーの女性に恋をする物語です。

 

カジモドは中世フランスのノートルダム寺院に寝泊まりして日々鐘を鳴らす役目を負っていた。そこに、ジプシーの女のエズメラルドがパリにやって来て、ノートルダム寺院に逃げ込んできた。

カジモドは王に近いフロロ伯爵からの命でエズメラルドをさらおうとしたところ、詩人のグランゴアルがそれを見つけ、将校のフィーバスに助けられた。

その後、カジモドは広場で長時間さらされる刑に処せられるが、そんなカジモドにやさしく水を与えてくれたのがエズメラルドだった。

エズメラルドはフィーバスに惚れ込んだが、それに嫉妬したフロロは、エズメラルドを一緒にいたフィーバスを殺害する。しかし、殺人の嫌疑をかけられたのはエズメラルドだった。

エズメラルドは裁判にかけられたが、有罪で処刑されることに。

エズメラルドが処刑される直前、カジモドはロープをつたってエズメラルドを救出し、聖域であった寺院の中に連れ込むことに成功する。

グランゴアルは、当時開発されたばかりの印刷機の力で、エズメラルドの救出を企てる。乞食たちの集団も寺院に押しかけ、カジモドは塔の上から応戦する。

こうした、エズメラルドの罪は晴らされ、グランゴアルと結ばれる。

カジモドは一人、再びノートルダム寺院に残された。。。

 

 

カジモドのエズメラルドに対する献身的な救援がとても共感できます。特に、カジモドがロープを使ってエズメラルドを救出するシーンは、とても感動的です。

 

フランスといえば、近代的な人権思想が生まれた国のイメージが強いですが、中世にさかのぼれば、ジプシーに対する差別がはびこり、公衆の面前で野蛮な刑が執行されるなど、人権重視の社会からはほど遠い状況であったことが、赤裸々に描かれています。

 

それにしても、撮影の壮大なスケールには圧倒されます。制作されたのが1939年ですから、なおさらです。

 

大変楽しめる作品でした。

「真夜中のカーボーイ」★★★☆

 

シュレシンジャー監督の1969年の作品です。

タイトルからは西部劇であるかのように錯覚してしまいますが、田舎から大都会に出てきた若者の話です。当時のアメリカ社会の自由を謳歌する若者たちの空気を色濃く反映したような作品ですが、今見るとなかなか共感しにくさを感じざるを得ない作品です。

 

ジョージョン・ヴォイト)は、女性を手籠めにしてお金を稼ごうと、テキサスからニューヨークに出ていく。しかし、現実はそう甘くはない。

そんなとき、ジョーは、片足が不自由なラッツォ(ダスティン・ホフマン)と飲み屋で出会う。ラッツォはジョーに金を貢いでくれる女を斡旋することになったものの、紹介されたのは男色ばかりだった。

ジョーはラッツォに激怒するが、やがて2人は共同生活を始め、手を組んでお金を稼ぐようになる。

ラッツォは体調を崩し、フロリダへの移住を強く望む。ジョーはラッツォの夢をかなえるべく、男色の男から巻き上げた金でラッツォとバスでフロリダに向かう。

しかしラッツォはバスの中で力尽き、命を落とす。。。

 

 

この作品はアカデミー賞の作品賞を受賞するなど、高い評価を得ている作品ですが、私は正直、この作品のどこに共感したらよいのか、最後までよく分かりませんでした。

ジョーとラッツォの友情が芽生えていく過程も、正直あまり説得力を感じませんでした。

ただ、そういうことも含めて、この作品ができた時代背景を象徴しているのでしょう。いわゆるヒッピー文化全盛で、ベトナム戦争に疲れた若者たちがやみくもに自由を求めていた時代にあっては、ジョーのような既成の常識にとらわれず行き当たりばったりの生活を送ることに対して、一定の共感が寄せられたのでしょうか。

 

なかなか評価の難しい作品でした。

「ウディ・アレンの誰でも知りたがっているくせにちょっと聞きにくいSEXのすべてについて教えましょう」★★★★☆

 

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ウディ・アレン監督の初期の作品です。SEXにまつわる7つのエピソードで構成された作品で、あまりにもくだらないのですが、ウディ・アレン監督のウィットが効いていて、それが分かる人にはとてつもなく面白い作品と言えるでしょう。私は完全にツボにはまって、最初から最後まで笑いが止まりませんでした。

 

「媚薬の効能」は、 宮廷内で道化師が王妃を媚薬でそそのかして寝とろうとするが、貞操帯に阻まれ、貞操帯を壊す音に気づいた王様にバレてしまい、打ち首となる話。

ソドミーって何?」は、雌羊に惚れ込んだ男から相談を受けた医師が、自ら羊の虜になってしまう話。

「エクスタシーは所を選ばず」は、人前でないと興奮しない女の話。カップルは公の場で隠れてSEXを繰り返す。

「女装の歓び」は、女装趣味を隠していた男が、娘婿の両親の家を訪ねた時にその癖が出てしまい、警官が出動する騒ぎとなる話。

「これが変態だ」は、変態たちが出演してその変態度合いを競い合う番組を描いた作品。パネラーたちは出演者の性癖を当てる。

「SFボイン・パニック」は、研究助手を希望する男とジャーナリストの女が、SEXを研究する博士の研究室を訪ねる話。巨大な乳房が研究所を抜け出し、大騒ぎとなる。

「ミクロの精子圏」は、女とベッドインする男の体の中をパロディー化した作品。精子に扮するウディ・アレンが、脳の指令に基づいて体外に放出される。

 

、、、という感じで、そのあまりにもくだらない内容がお分かりになるかと思います。

これは、ある意味、ウディ・アレンの数ある作品の中で、ジョークが最も生き生きと表現された作品かもしれません。

最後の「ミクロの精子圏」は、もちろん有名な映画のパロディーですが、ウディ・アレン自らが演じる自信なさげな精子役は正にハマりどころです。

個人的にはツボにはまった作品でした。

「ソハの地下水道」★★★★

 

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ナチス・ドイツの占領下のポーランドで、下水修理業者の男が下水道の中でユダヤ人たちをかくまう話です。いわばポーランド版の杉原千畝といった感じです。実話に基づくだけあって、心に響く重みが感じられます。

 

下水修理業者のソハは、本業の傍ら、仲間の男と空き巣を繰り返していた。あるとき、ソハは、ナチスの迫害から下水道に逃れているユダヤ人の集団と遭遇する。当局に通報すればお金が稼げるが、ソハはユダヤ人をかくまいつつ、彼らからお金を受け取ることにする。

ユダヤ人たちは衛生状態が劣悪で暗黒の下水道の中で長期間隠れることになる。ソハは、軍の司令官が下水道にユダヤ人が隠れていると疑った際も、うまくユダヤ人たちをかくまう。

地下での生活では様々なトラブルも生じる。ある女性は、妊娠して子供を産むが、間もなく窒息させて殺害してしまう。

ソハは、家族の反対もあり、ユダヤ人をかくまうことから手を引くことにするが、それでもユダヤ人たちのことを見捨てることはできず、面倒を見続けることにする。

やがて、ソ連ポーランドに侵攻し、ナチスポーランド支配は終焉を迎え、ユダヤ人たちは14か月ぶりに地上に出ることができたのだった。。。


映画『ソハの地下水道』予告編

 

英語版のタイトルは“In Darkness”ですが、そのタイトルが示すとおり、薄暗い暗闇の映像が中心です。音楽も最小限で、淡々と暗い場面が続きます。

 

テーマがテーマだけに、エンターテイメントの要素は全くないのですが、当時のナチス・ドイツ占領下のポーランドの雰囲気が重く伝わってくる作品でした。

齋藤嘉臣「ジャズ・アンバサダーズ」

 

ジャズ・アンバサダーズ 「アメリカ」の音楽外交史 (講談社選書メチエ)

ジャズ・アンバサダーズ 「アメリカ」の音楽外交史 (講談社選書メチエ)

 

ジャズがアメリカを始めとする各国において、どのように利用され、受容されたかについて、幅広い文献に基づき記された本です。伝説的なジャズ・ミュージシャンたちが世界各国に送り込まれて、絶賛されたという内容だけでも、ジャズ・ファンとしては大変楽しめる内容ですが、ジャズと現代史をここまで学術的に結びつけて論じた研究はこれまで日本ではなかったように思いますので、画期的な研究だと思います。

 

本書からわかることは、アメリカ政府はジャズをアメリカニズムとして売り込もうとしているのに対し、実際にジャズを売り込むミュージシャンたち、あるいは、それを受け入れる外国のジャズ・ファンは、それぞれ別の思惑でアメリカのジャズを捉えていたということです。

 

 本書で強調されている点は、アメリカ政府はジャズを「アメリカ文化」「アメリカの音楽」として世界各国に売り込んだものの、実際、それは「抵抗」の象徴、さらには「反米」の意思表明媒体として受容されたという事実です。

 

もともとアメリカ国内でも、ジャズは共産主義によって利用されてきた面もあり、アメリカを代表する音楽というわけでは必ずしもなかったものの、文化コンプレックスがあるアメリカ政府として、ジャズをアメリカの音楽として世界に売り込む戦略を取り始め、いわゆる「ジャズ・アンバサダー」として多くのジャズ・ミュージシャンたちが世界各国に送り込まれたわけです。

しかし、受け入れる側は、ジャズをアメリカの音楽として受け入れたわけではありませんでした。むしろ、ジャズのアメリカ性を剥奪して現地化されたジャズを構築していったというのは興味深い点です。

そして、ジャズは、若者たちの間では、抵抗的な側面が強調されます。フランスでは“ザズー”と呼ばれた若者たちにとって、ジャズは抵抗の顕現でした。ドイツでは“スウィング・青年団”がジャズ・ファンによって結成されます。戦後のソ連でもジャズを愛する“スティリャーギ”と呼ばれる若者たちが現れます。

 

戦後になると、アメリカ政府は、ディジー・ガレスピーらをジャズ大使として世界各国に派遣します。ジャズ大使は各国で歓迎されますが、政府とミュージシャンの間で、人種問題を巡る軋轢が生じ始めます。そもそも黒人音楽が起源であるジャズを、アメリカの音楽として世界に売り込むことに対し、黒人ミュージシャンたちの間では不満があるのは自然なことでしょう。また、人種差別問題が解決していない中で、ジャズが自由や民主主義を象徴することには、矛盾が内在しているという見方もできます。

だから、1957年にリトルロック事件が起こると、ルイ・アームストロングは政府の対応に激怒し、ソ連公演の話を一蹴したとのことです。

 

こうした中、ジャズは時に「反米」として受容されます。フランスでは人種隔離に抗った黒人文化に由来するものとしてジャズが捉えられます。

 

このように、様々な受容のされ方が存在するところに、ジャズの面白さがあると思います。著者もジャズを“融通無碍”“ディアスポラ的”と称していますが、そのとおりだと思います。

「ジャズは融通無碍である。それは自由の象徴でありながら、未完の自由への衝動ともなる。自由な社会において、それは弾圧の対象であると同時に、抵抗と連帯をうながす媒体ともなる。ときに共産主義と近く、別のときには反共の機能を果たし、アメリカニズムを体現するかに見えて、反米の表明媒体ともなりうる。

 ジャズがアメリカで生まれ、いまなおアメリカの象徴であることは疑いない。それでも、ジャズはアメリカニズム を超克する。ポール・ギルロイの議論になぞらえば、多文化が混淆するアメリカ南部に起源をもちながら、アメリカの外に拡散する過程で辿った多様な経路が、ジャズを豊かにする。その誕生の瞬間からハイブリッドな文化であったジャズの姿は、じつにディアスポラ的なのである。」(P306-307)

 

それにしても、本書は丹念に膨大な文献を拾いながら、しっかりと学術的にジャズを捉えています。日本語の文献で、ここまできちんとジャズを現代史の文脈で整理した学術書はいまだ見たことがありません。

 

大変知的好奇心をそそる本でした。

「フォックスキャッチャー」★★★★

 

デュポンの御曹司が五輪レスリングの金メダリストを射殺するというショッキングな実話を映画化した作品です。作品は全体を通して暗い雰囲気が漂い、淡々と話が進んでいくので、やや退屈感もないわけではないのですが、これが実話だという前提で見ると、大変重厚感のある作品となっています。

 

五輪レスリングのメダリストのマーク・シュルツは、デュポンの御曹司のジョンから呼び出しの電話を受ける。ジョンの邸宅の敷地内のトレーニング場で練習するチーム「フォックスキャッチャー」に入ってオリンピックを目指さないかという誘いだった。

マークは当初ジョンとうまくやっていたが、次第に2人の仲には亀裂が生じてくる。そんな中、ジョンは、マークの兄で同じくレスリングのメダリストであるデイヴ・シュルツを呼び寄せる。デイヴは優秀な指導者であったため、ジョンのチームを支える指導者の立場になった。そんな中、マークは次第に居場所をなくしていってしまう。

その後、マークはチームを去り、デイヴはチームに残ったが、ある日、ジョンの敷地内に住むデイヴの下を訪れたジョンは、いきなりデイヴに発砲し、射殺する。。。


Foxcatcher (2014) Trailer

 

ジョンとマーク、デイヴの3人の間の微妙な人間関係の変化が、実に絶妙に描かれています。ジョンとマークの仲に亀裂が入り、デイヴが入ることでその亀裂はさらに助長され、デイヴとマークの仲にも亀裂が生じ、最期はジョンとデイヴの間に不信感が生まれて、射殺に至るわけです。

この作品の最大のテーマは、なぜジョンがデイヴを殺害したかにあります。もちろん、ジョンが統合失調症だったという面があるわけですが、この作品を見ると、ジョンのデイヴに対する嫉妬心が大きく働いているのではないかと感じます。ジョンが母親の前では、いかにも自らが指導者として仕切っているかのようなふりをしている場面があります。また、リングサイドに入ってコーチを務めることに固執します。しかし、結局、ジョンは優秀な指導者たりえず、デイヴを超えることはできなかったわけです。こうして、ジョンの心中には次第にデイヴに対する嫉妬心が芽生えてきた、というのが本作品の見立てといえるでしょう。

 

ジョン・デュポンを演じているスティーヴ・カレルの演技が光っています。ちなみに、カレルは、最近ではウディ・アレンの「カフェ・ソサエティ」の中での好演が光っていました。

 

見ごたえのある作品でした。