映画、書評、ジャズなど

「沈黙-サイレンスー」★★★★☆

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マーティン・スコセッシ監督の渾身の作品です。原作は遠藤周作の小説ですが、原作を読まずに映画を鑑賞しましたので、迫害されても頑なに信仰を守る宣教師を称える話くらいに思って見たのですが、かなり深遠なメッセージ性を孕んだ素晴らしい作品でした。

沈黙 (新潮文庫)

沈黙 (新潮文庫)

 

17世紀の江戸時代初期、日本でキリスト教の布教を行っていたフェレイラ神父の消息が途絶えたことから、ポルトガルの2人の宣教師、ロドリゴとガルペが日本に派遣されることになった。2人の宣教師は、マカオで出会った日本人のキリシタンのキチジローの案内で日本に上陸する。

当時は激しいキリシタン狩りが行われ、ロドリゴとガルペは古い小屋に隠れていたが、2人の噂を聞いたキリシタンの村人たちがやってきて、2人は布教活動を行う。

やがて、長崎奉行の井上筑後守が村にやってきて、踏み絵を躊躇した村人たちを処刑する。2人は難を逃れたが、ロドリゴとガルペは分かれて行動することにする。

ところが、ロドリゴはキチジローに騙されて井上筑後守に捕らえられてしまう。井上筑後守はロドリゴを棄教させるため、日本ではキリスト教は根付かないことをロドリゴに説得しようと試みるが、ロドリゴは頑として棄教を受け入れない。

そうこうしているうちに、多くのキリシタン農民たちが踏み絵を受け入れずに命を落としていく。他方、多くの民衆たちはロドリゴに激しい非難の態度をぶつける。

ロドリゴは井上筑後守の計らいで、ついにフェレイラ神父に面会することになる。しかし、フェレイラは既にキリスト教を棄教し、仏教の寺で日本のために天文学などの勉強をしていたのだった。ロドリゴは当然のことながら大きな衝撃を受ける。

ロドリゴは、多くの民衆が自分が棄教しないことで拷問を受けている状況に耐え切れず、ついに踏み絵を受け入れる。

その後ロドリゴはフェレイラと共に、キリスト教関係の物品が輸入されないように監視する任務に就く。そして、江戸で未亡人と結婚し、穏やかに生涯を終えた。棺に納められたロドリゴの遺体の手には、キリスト像が握られていた。。。


映画『沈黙-サイレンス-』アメリカ版予告編

 

本作品は、タイトルに象徴されるように、キリストの神の「沈黙」が大きなテーマであるのでしょうが、私は、井上筑後守とロドリゴのやりとりに注目させられました。両者のやりとりがなかなか意味深に描かれており、私の印象では、どちらかというと井上筑後守の主張がやや好意的に描かれていたように思います。

つまり、キリスト教の普遍性を頑なに信じ込み、キリスト教が日本でも浸透すると信じ込んでいるロドリゴと、日本の土壌を「沼」に喩え、キリスト教が日本の風土に根付かないと主張する井上筑後守の論戦を見ると、井上筑後守にかなり分があるように描かれているような印象を受けました。

 

私たちが中学や高校で習うキリシタン迫害は、どちらかといえば、キリスト教に不寛容な江戸幕府という文脈だったような気がしますが、外国人のスコセッシ監督がこうした描き方をすることに、大きな感銘を受けました。

 

宗教の問題は、今日のトランプ政権のイスラム国家に対する強硬姿勢にも表れているとおり、いつの時代においても難しい課題です。ただ一つ言えることは、ある宗教があまりに普遍性を強調し、不寛容に他人に押し付けようとすると、熾烈な争いを生む原因となるということです。

 

日本社会は、仏教を始めとする異国の神々を古来の八百万の神と巧みに融合させながら、宗教的な調和を維持してきました。そうした神々が民衆に受け入れられていたところに、突如としてキリスト教がやってきて、他の神々を否定するような布教を行えば、社会の混乱につながりかねません。為政者たちがそうした宗教が入ってくることを過度に警戒するのは当然でしょう。

 

だから、この作品におけるスコセッシ監督の描き方は極めてすとんと落ちました。作品には残酷な拷問や処刑のシーンがいっぱい登場しますが、それはそれで仕方がありません。しかし、そうした残酷なシーンにもかかわらず、監督の伝えたかったメッセージは、当時の江戸幕府の残酷さではなかったように思います。

 

今日のイスラムを巡る状況も含め、いろいろと考えさせられる作品でした。

 

森本あんり「反知性主義」

 

反知性主義: アメリカが生んだ「熱病」の正体 (新潮選書)

反知性主義: アメリカが生んだ「熱病」の正体 (新潮選書)

 

アメリカにおけるキリスト教の歴史をたどりつつ、「反知性主義」の歴史をたどる本です。この「反知性主義」の概念こそ、トランプ現象を理解する上で、必要不可欠な概念だと思います。アメリカのキリスト教の歴史の幾度も反復された「反知性主義」のうねりこそ、トランプ現象の底流にあるのではないかという気がします。

 

 本書では、キリスト教の「信仰復興運動」(リバイバリズム)を、反知性主義と見ています。「信仰復興運動」というのは、ピューリタニズムに対する反動ですが、このピューリタニズムこそが知性主義であり、ピューリタニズムに対する反動である「信仰復興運動」は反知性主義と捉えられるというのが本書のスタンスです。

 

アメリカ建国当初のピューリタンの牧師たちは、高学歴の牧師たちによって占められていました。そんな高学歴な牧師たちを養成するためにできたのがハーバード大学であり、イェール大学であり、プリンストン大学です。

ところが、こうした高学歴の牧師たちが完全に否定されるという事態が18世紀半ばに起こります。これが「信仰復興運動」です。これを支えたのがジョナサン・エドワーズジョージ・ホイットフィールドです。

ホイットフィールドは、大勢の聴衆を前に説教を繰り返し、「メソポタミア」という一言を繰り返すだけで全聴衆が涙にうち震えたのだとのこと。このホイットフィールドが実業家たるベンジャミン・フランクリンと意気投合したという事実は興味深い点です。なぜなら、「信仰復興運動」は宗教的動機に加え、実利的なビジネス精神と密接に結びついているからです。

バイバリストたちの説教は、言葉が平明で分かりやすいものであり、無学な者にも等しく受け入れられる点に特徴があります。そのルーツは、学者やパリサイ人を批判したイエスに究極の原点を持っています。このように「信仰復興運動」は、“神の前でのラディカルな平等”を前面に押し出すものであり、あらゆる権威を吹き飛ばしてしまうインパクトを持ちます。これこそが、「反知性主義」の源流といえます。

 

第2次「信仰復興運動」は、1820年代から30年代にかけて起こります。この時期、メソジストとバプテストが発展します。特にバプテストは、普通の農民たちがある日神の召しを受けて仲間に説教を始めるというものです。彼らは説教者となるための訓練や準備すら受けておらず、既存の教会の権威を完全に否定するものです。

 この時期、「反知性主義」の流れの後押しで大統領となったのがジャクソン大統領です。ジャクソンは名家の出身のアダムズを大差で破って当選します。ジャクソンは常に人民に近い存在であることをピーアールし、特権階級が持つ既得権に強い反感を示します。議会を尊重せず、しばしば拒否権を行使して自説を通したとのことです。

また、第2次「信仰復興運動」をけん引したのがチャールズ・フィニーです。彼は「リバイバルは奇跡ではない」と述べ、リバイバルは神頼みではなく、人間の努力が必要だとしました。

 

19世紀末の第3次「信仰復興運動」をけん引したのはドワイト・ムーディです。米国で工業化・都市化が進み、大量の移民が流入した時期です。恵まれない境遇で育ったムーディは貧困階級のための独立系教会を作ります。そして、ビジネスと密接に結びついた活動を行った点に特徴があります。シカゴで成功を収めたのち、イギリスに伝道旅行に出かけ、大きな評判となります。ムーディのイギリスでの活動は、エンゲルスの『空想より科学へ』の英語版序文でも触れられていたことからも、ムーディが大きな話題となったことが分かります。

ムーディのリバイバリズムは産業そのものだったようです。大規模な集会を開催し、歌手も連れて娯楽性も高めます。

こうしてムーディは、神学のまともな教育を受けることなく、大衆から絶大な支持を受けることになります。

 

20世紀になると、ビリー・サンデーという反知性主義のヒーローが出現します。サンデーも貧しい開拓農家の生まれですが、運動能力を買われて大リーガーになり、その後、伝道者に転身します。サンデーも学歴はありませんが、やがては、大統領とも一緒に食事するほどの人気を集めます。サンデーは伝道をビジネスそのものと捉え、資産を蓄えます。しかし、足元の家族関係は崩壊し、寂しい晩年を迎えたそうです。

 

 

 

以上、本書をなぞってみましたが、アメリカ社会で繰り返し「反知性主義」が勃興していることが分かります。「反知性主義」について、著者は以下のように述べます。

「知性が欠如しているのでなく、知性の「ふりかえり」が欠如しているのである。知性が知らぬ間に越権行為を働いていないか。自分の権威を不当に拡大使用していないか。そのことを敏感にチェックしようとするのが反知性主義である。」

つまり、アメリカ社会では、知性と権力の固定的な結びつきが怒っていないかをチェックする大衆の大きなうねりが、反知性主義という形で顕在化するといえます。

 

もう一つ重要なのは、反知性主義がラディカルな平等意識に支えられている点です。人々の強烈な平等意識が、エスタブリッシュメントに対する異議申し立ての動機になっているわけです。

 

こうして見てくると、今日のトランプ現象は、反復する「信仰復興運動」「リバイバリズム」の波の1つと位置付けられるような気がします。既得権益を鋭く批判し自らを大衆の側に位置付けるトランプの言動やスピーチを見ていると、正に「反知性主義」そのものです。

ここ最近のアメリカ社会では、富めるものが益々富める社会に向かってきたことは否めません。ウォール街の一部の人々や、大企業のトップたちの給与が大きく上昇する一方、中間層や貧困層の給与はそれほど伸びていません。

ロバート・ライシュが『最後の資本主義』で指摘しているように、政治や経済のゲームのルールそのものが一部の人たちの都合の良いように制度が形成されるようになってしまっており、その結果、富める者とそうでない者の格差が益々拡大しているわけです。

 

最後の資本主義

最後の資本主義

 

 こうして権威に対する大衆の不満が膨張し、それがトランプ現象となって表れたといえるわけですが、反知性主義によって権力をチェックするというやり方こそがアメリカのやり方であり、その繰り返しこそがアメリカの歴史そのものだったわけです。

 

本書を読んで、なぜ多くのアメリカ人がトランプを熱狂的に支持したかが理解できるような気がしました。

 

 

ワシントン・ポスト取材班「トランプ」

 

トランプ

トランプ

 

トランプに関する書籍は多数出版されていますが、とりあえず本書を読んでみました。本書では、トランプがこれまでに数々の破産を経験し、そして、自らのブランドを高めるためにマスコミを恫喝し、裁判沙汰を数多く抱えてきたことが描かれています。本書を読むと、トランプという人物のどこをどう見ても、アメリカ大統領としての資質のかけらすら感じられないという印象を持たざるを得ません。

 

以下、本書の内容をなぞっていきたいと思います。

 

トランプは、クイーンズにある裕福な家庭に育ちます。トランプの祖父フリードリッヒはドイツで理髪師の修業を積んで、16歳で移民としてニューヨークにやってきたとのこと。トランプは父親のフレッドから厳しくしつけられたものの、幼少時代から問題を抱えていたようです。小学校2年生のときに音楽の教師を殴って目の周りに痣を作らせたとのこと。そんな素行の悪さを心配した父親は、トランプをニューヨークのミリタリー・アカデミーに転入させます。その後、フォーダム大学に進みますが、2年でペンシルバニア大学のウォートン・スクールに入ります。

トランプは、父親フレッドの不動産開発に若い頃から関わり、ウォートン・スクールを卒業すると、25歳にしてトランプ・マネージメントの社長になります。コニーアイランドにはトランプ親子の経営するアパート群“トランプ・ビレッジ”がありますが、そこで黒人と白人が入居するアパートを分けていた疑惑が持ち上がり、トランプ親子は司法省から訴えられます。

そんな時期にトランプは、その後のトランプビジネスを支えることになる弁護士のロイ・コーンと出会います。トランプのそばにはコーンがいるという関係が続くことになります。

 

トランプは、マンハッタンの開発に力を入れます。父親のフレッドは反対しますが、トランプはマンハッタンこそが世界の中心だと考え、勝負をかけます。そして、コモドア・ホテルを再建する権利を手に入れようと画策します。そのプロジェクトを進めるためには、鉄道会社がホテルの売却に同意し、市も計画を承認し、銀行が前もって金を貸してくれる必要がありましたが、トランプは当事者たちに空手形を切りまくり、市からは無理やり固定資産税の免除を認めてもらい、強引にプロジェクトを進めていきます。こうして、トランプはグランド・ハイアットをオープンさせますが、間もなくハイアットのプリツカー家と対立し、その持分をプリツカー家に譲ることになります。

その後、トランプはマンハッタンのある物件に注目します。そこには高級デパートのボンウィット・テラーの旗艦店が建っており、後日トランプタワーが建つことになります。その建物を取り壊す際、トランプは貴重な女神像を美術館に寄贈することになっていたはずなのに、評価額が低いことが分かると容赦なく取り壊してしまいます。また、解体をするにあたっては、ポーランドからの不法移民が動員されました。

トランプタワーの評判を挙げるために、トランプは英国の王室が購入を検討しているという噂をでっち上げ、トランプ神話も膨れ上がっていきます。

 

自らのブランドに人一倍関心があったトランプは、メディアの取り上げ方を大いに気にしました。毎朝自分について書かれた記事をチェックしていたとのこと。時には、トランプの友人を騙って、自らマスコミに電話して情報を流したりしたようです。マスコミにトランプの広報担当者として電話をかけ、トランプの周囲には美女がいくらでもいて、よりどりみどりで、有名な美女が引きも切らずトランプのところに電話をかけてくるのだ、という内容を伝えたこともあるとのこと。自分を攻撃したり、意に沿うような内容を書かなかったマスコミに対しては容赦なく反撃します。

 

 トランプはカジノビジネスにも乗り出します。アトランティックシティでライセンスを申請しますが、マフィアとのつながりや資金不足などが問題となります。訴追歴については当初隠していましたが、その後明らかにします。結局、トランプの申請は承認され、1984年にトランプの最初のカジノがオープンします。

その後、トランプはカジノを次々と買っていきます。3つ目のタージマハルは、建設途上の物件を買い取ったものですが、資金調達のためにジャンク債に手を出し、多額の金利を払わなければならないことになります。

 

トランプは、美人コンテスト事業にも手を出します。ミス・ユニバース機構の支配株式を取得し、自らのブランド価値向上に利用します。

さらに、アメフトにも手を出します。NFLのチームの買収に失敗したトランプは、後発リーグUSFLに参入し、莫大な放映料を目当てにトップリーグを反トラスト法違反で訴え、し烈な闘争を仕掛けます。しかし、トランプがNFLフランチャイズを持ちたいがために闘争を仕掛けていると言ったという証言が出され、裁判は不利な展開へ。結局、USFLはわずかな賠償しか手にすることができず、USFLは消滅します。

 

90年頃にはトランプの負債は32億ドルにまで膨れ上がります。多額の個人保証もついています。カジノの従業員への支払いすらままならない状態になります。タージマハルを建てた際のジャンク債の高利率も問題になります。父親もトランプに資金支援を行いますが、結局、トランプは所有するすべてのカジノを破産させることになります。しかし、カジノを依然として支配し続けます。

その後、トランプは新たな株式公開会社を設立し、借金まみれのカジノを法外な金額で買い取ります。そしてこの会社もやがて破産することに。

数々の破産を経験してもトランプが生き残れたのは、関係者が何よりもトランプというブランドが必要だと考え、トランプを表舞台に留めておいた方が得策だと判断したという面が大きいように思います。

 

 トランプの知名度をさらに押し上げたのが、リアリティ番組『アプレンティス』への出演です。「お前はクビだ!」という決め台詞はトランプのアドリブだったとのこと。トランプはこの番組での役どころをうまくこなしていきます。

その後もトランプは、数々のビジネスに手を出します。トランプブランドのライセンス、トランプ大学、住宅ローン会社トランプ・モーゲージの設立などなど。

世界にもビジネスを展開していき、その関心はアゼルバイジャン、トルコ、インドネシア、UAE、パナマスコットランド、さらにはロシアに向かいます。ロシアでは、ロシア版トランプのような人物と親しくなります。トランプはプーチンを持ちあがる発言を繰り返し、ミス・ユニバース世界大会の前日に面会をするはずでしたが、土壇場でキャンセルに。このとき、トランプはプーチンからロシアでの開催に感謝する手紙をもらいます。

 

 トランプは政治にも関心を持つようになり、次第に大統領を意識するようになります。しかし、支持政党がころころ変わり、レーガンの資金集めに協力したり、ビル・クリントンを支持したり、改革政党に加わったり、ヒラリー・クリントンに接近したり、ポリシーは一貫していません。ヒラリーが上院議員になった2001年には、なんと民主党員になっていたとのこと。本書によれば、1999年から2012年までに7回も党を変えていたようで、他方、大統領選では一貫して共和党に投票していたと本人は述べているようで、正直政治思想は見えません。

 

トランプは、自らを実際以上に大富豪に見せようとしていたようです。トランプの負債が大きいことを指摘する人には損害賠償請求訴訟を起こしています。トランプは相手を恫喝するのに訴訟という手段を多様しているようで、ある分析によれば、トランプと彼の会社は30年間に1900件余りの訴訟を起こしているようで(ちなみに訴訟を起こされた件数は1450件とのこと)、この中には自分の都合の悪い疑問を投げかけた人物を叩くことに主眼が置かれたものも含まれているようです。トランプは自らの資産を少なく見積もる人物については、ブランド価値が正当に評価されていないと考えていたようです。

 

 

本書では、以上のようなトランプの遍歴が事細かに取材されて書かれています。本書から浮かび上がってくるトランプ像は、自分を悪く言う人物を訴えて恫喝しながら自らのブランドを築き上げ、女性にもてるという大富豪という虚像をでっち上げ、時には相手を欺きながら強引にプロジェクトを進め、数々の破産で債権者たちに莫大な負担を強いてもさほど気にせず懲りずに投資を繰り返すビジネスマンという感じです。誰がどう見ても、世界最大の大国の大統領を任せられる人格を持ち合わせている人物には見えません。

本書を読んでも、なぜトランプがアメリカ大統領に選ばれたのか?という根本的な問いかけに対する明確な回答を得ることは正直できませんでした。本書は共和党大会でトランプが大統領候補に選出されたあとの2016年8月に発売されたものなので、なぜトランプが大統領に選ばれたのか?という視点で分析されたものではもちろんなく、あくまでトランプの遍歴を事実関係に基づいて描いた形になっていますので、そうした分析は他の本を読んだ方がより分かりやすく分析されているのかもしれません。おそらく、本書を書いている人たちの中でも、トランプが本当に大統領になると思っていた人は少なかったのではないかと思います。

 

今後、こうしたトランプという破天荒な人格が、国際政治にどのような影響を与えるのか、本書を読んで益々心配になりました。おそらくは、これまでのスタイルで、多くの国々に対して恫喝をくり返していくのだと思いますが、大統領が他国に恫喝を繰り返し、国民に米国第一主義をアピールする裏で、外交当局がしっかりと地に足の着いた外交を他国との間で進めていくことができるかが、大きな鍵となってくるように思います。それができなければ、米国の外交はトランプのスタイルの下で機能不全に陥ってしまうでしょう。

 

いずれにしても、本書はよく取材されて書かれている本だと思います。

「燃えよドラゴン」★★★☆

 

ディレクターズ・カット 燃えよドラゴン 特別版 [DVD]

ディレクターズ・カット 燃えよドラゴン 特別版 [DVD]

 

ブルース・リーの代表作です。初のハリウッド作品だったにもかかわらず、撮影終了後まもなく、ブルース・リーは急逝します。なので、本作品が公開されたのは、ブルース・リーが亡くなった後ということになります。

少林寺で修業を積んでいるリー(ブルース・リー)は、南シナ海に浮かぶ島で開催される武闘大会への出場を求められる。その大会は、かつて少林寺で修業を積んだものの、武闘の道を踏み外してしまったハンが開催していた。

かつてリーの妹がこの島を訪れた際に、ハンの一味に追い詰められ自害したという話を聞き、リーはこの大会への出場を決意する。

その島は、さながらハンの帝国のような有様だった。出場者たちは多くの美女たちにもてなされたが、ひとたびハンのやり方に反旗を翻せば、命すら危うかった。

そんな中、リーは妹の敵を討つべき、ハンの部下たちを次々と倒していくのだった。。。

 

 

ストーリー自体はB級映画のような感じですが、ブルース・リーの存在感はさすがです。初のハリウッド作品ということで、リーが出ずっぱりというわけでは必ずしもなく、リーの本格的なアクションが見られるのは、最後の場面くらいなのですが、それでも十分です。

 

冒頭にも触れたように、リーはこの作品を取り終えた後、間もなく亡くなります。32歳の若さということになりますが、これほどの若さで亡くなりながら、後世にここまで名を残しているということは凄いことですね。それだけ存在感のあったスター俳優だったということです。

「マイルス・デイヴィス Miles Ahead 」★★★☆


Miles Ahead Official Trailer - Don Cheadle, Ewan McGregor

マイルス・デイヴィスを取り上げた映画となれば、ジャズファンとしては足を運ばざるを得ません。マイルスといえば、常にジャズ界を牽引し、新しい道を切り開き続けたミュージシャンです。同時代を生きたモダン・ジャズのミュージシャンで、マイルスから何らかの影響を受けなかった者は皆無と言っても過言ではありません。多くの偉大なジャズ・ミュージシャンたちがマイルスの下でプレイし、何かを得てマイルスの下を離れて行きました。

 

ビバップを創設した中心人物の1人だったマイルスは、やがてモードジャズ、そしてエレクトリック・ジャズへと移っていくわけですが、そんなマイルスが70年代後半の5年間、音楽活動から身を引いていた時期があります。その時代のマイルスを取り上げたのが本作品です。

 

音楽雑誌のライターがマイルスの自宅を訪ねる。マイルスは当時荒れた生活を送っており、薬のためのお金を必要としていた。コロンビアレコードを訪れるも、取り合ってもらえず。その場にいたいかがわしいプロモーターにまんまと自分の音楽を録音したテープを盗まれてしまう。

マイルスはテープを取り戻すためにプロモーターの下へ押しかけていく。。。

 

 

本作品では、妻のフランシスとの出会いの場面が所々に挿入されます。まだピュアに音楽に打ち込んでいた時分のマイルスと今のマイルスを対比することで、その違いを浮き彫りにさせている感じです。

 

冒頭、マイルスは、♪Kind of Blueを褒めちぎるラジオを聴き、ラジオ局に電話して、アルバム『Sketch of Spain』に収録されている♪Soleaをかけるように求める場面があります。


Miles Davis - Solea

常に変化を求め続けているマイルスにとって、いつまでも何年も前のモード奏法ばかりを取り上げる聴き手が我慢できなかったという面は大いにあるように思います。

 

マイルスの不幸だったところは、自分の求める変化に聴き手が付いてきていないという思いを常に抱えなければならなかったところにあるように思います。マイルスが意欲的に新しい道を切り開けば切り開くほど、古くからのジャズファンからすれば、マイルスがどこかよく分からない方向に離れて行ってしまうように感じてしまったのではないでしょうか。

 

今でもどの時代のマイルスが好きかについては、人によって意見が分かれるところですが、個人的には、ビバップからモードに差し掛かるあたりの マイルスが最も聴きやすくて好きです。

曲でいえば、『1958Miles』に収録されている♪On Green Dolphin Streetが最もお気に入りです。


Miles Davis - On Green Dolphin Street

 

さて、本作品に話を戻すと、ハービー・ハンコックウェイン・ショーターエスペランサ・スポルディングといった大物ミュージシャンたちの登場シーンなど見所もありますが、マイルスを描くのだとすれば、もっと取り上げるべき事実があったように思います。

 

マイルスの原動力は、何と言っても人種差別問題です。本作品でも出てきましたが、当時のアメリカは、黒人が白人女性と親密にしていただけで逮捕されるという理不尽な社会だったわけです。他方、マイルス自身は、実力ある白人ミュージシャンたちを積極的に起用したりします。この辺の葛藤こそがマイルスの人格を描く上で必須のように思いますが、本作品ではそれほど重要視されているように思えません。

 

また、先に触れたように、マイルスの音楽の展開、すなわちビバップ→モード→エレクトリックという流れについて、もう少しきちんと描いて欲しかったという気がします。なぜマイルスがこうした変化を遂げ続けなければならなかったのか、それがこの作品で取り上げている空白の5年間の理由にもつながってくるように思います。

 

銃撃シーンなどのフィクションによる演出はある程度必要かもしれませんが、もう少し肝心な部分をしっかりと軸に据えていたら、なお良かったように思います。 

 

 

マイケル・ルイス「ライアーズ・ポーカー」

 

 マイケル・ルイスのデビュー作で、原著は1989年に公刊されたものです。

金融ノンフィクションで数々の力作を世に送り出している著者ですが、もともとはソロモン・ブラザーズのセールスマンを務めていました。入社後、瞬く間に頭角を現したものの、3年で退社し、ノンフィクション作家として活躍します。

本書は、ソロモン・ブラザーズ時代の経験から、投資銀行の在り方がいかに歪んだものであるかについて、皮肉たっぷりに書かれています。

 

本書では、まず新入社員たちが受ける研修について書かれています。多くの新入社員たちは、花形である債券トレーダーを目指します。そのためには、研修期間中に、担当の取締役に目を付けられることが必要となります。さもなければ、希望しない株式部門に配属されてしまうことになります。著者も当初株式部門の幹部に目を付けられてしまい、そこから逃れるために一苦労したとのこと。

 

そして、ソロモンは、モーゲージ・ローンを大きな事業に拡大した投資銀行でもあります。住宅ローンは当初、投資銀行からは相手にされなかったのですが、やがてソロモンの稼ぎ頭へと成長していきます。その担当に抜擢されたルーウィー・ラニエーリは、その中心的な役割を果たし、一大派閥を形成することになります。

このモーゲージ・ローンは、やがてサブプライム・ローンとして、リーマンショックを引き起こす立役者となったことは言うまでもありません。

 

 さて、著者は、ロンドンのセールスマンとして配属されることになりますが、そこで経験したソロモンの社風は、客の利益よりも会社の利益を優先する態度です。著者は、まだ“下等動物”扱いだった時期に、ソロモンが抱えているお荷物の債券を顧客を欺いて売りつけたことで周囲から称賛され、違和感を感じます。

「客というものが、実に忘れっぽい生き物だ」

というソロモン幹部の言葉が、そうした社風を象徴しています。

 

このように、本書は、著者の経験を通じて、投資銀行のインセンティブがいかに歪んだものであるかを描いています。特に投資銀行のトレーダーは破格の報酬を得ているわけですが、果たして高額な報酬に見合うことを彼らはやっているのだろうか、というのが著者の問題意識の根底にあります。

以下の文章に、著者の問題意識が凝縮されています。

「非常識きわまりないマネー・ゲームの中心地にいて、自分の社会的な値打ちとかけ離れた待遇を受け(自分にはそれだけの値打ちがあるのだと、いくら思い込もうとしても無理だった)、まわりを見ると、同じくらい半端な何百人という連中が、札束を数えるひまもなくポケットにしまい込んでいる。そんな状況にほうり込まれて、信念を保っていられるだろうか?まあ、人によりけるだろう。」

 

こうした著者の問題提起にもかかわらず、こうした傾向は益々助長されていき、やがてリーマンショックを迎えることになります。

そして、リーマンショックから世界が立ち直った今、再びこうした傾向が助長されているようにも見受けられます。

 

本書が書かれたのは20年以上前ではありますが、今こそ読まれるべき本のように思います。

 

R.オースティン・フリーマン「オシリスの眼」

 

オシリスの眼 (ちくま文庫)

オシリスの眼 (ちくま文庫)

 

 

1911年に書かれたミステリー作品です。

著者の作品は初めて手にしましたが、単なるミステリーではなく、淡いラブストーリーも包含する豊かな文学作品で、清々しい読後感が得られました。

 

エジプト学者のジョン・ベリンガムが忽然と姿を消す。ジョンは失踪する直前、いとこのハーストの家に立ち寄った形跡があり、その後、弟のゴドフリー・ベリンガムの家の庭には、ジョンがいつも身につけていたスカラベが落ちていた。

ジョンはしかも奇妙な遺言を残していた。父親から受け継いだ財産を弟のゴドフリーに譲るという内容だったのだが、自分の遺体が特定の場所に埋葬されなければ、財産はいとこのハーストに行ってしまうという内容だったのだ。

この難題に立ち向かうのが、法医学者のソーンダイクだ。彼の教え子で医師のバークリーがゴドフリーの医師だった縁で関わることになったのだ。

その後、切断された人骨が次々と見つかる。それはジョンの骨だと思われた。ジョンはオシリスの眼を形どった指輪を薬指に着けていたのだが、その部分だけが見つからなかったのだ。やがて、その薬指は井戸の中から見つかり、遺体はいよいよジョンのものだと思われた。

ハーストの弁護士のジェリコは、遺言を盾に、ジョンの検死を求めるが、裁判所はジョンの死亡を認めず。

ソーンダイクは、ジョンの遺体はミイラとすり替えられて大英博物館に運ばれたことを突き止める。見つかった多くの骨は、実はミイラの骨だったのだ。それを実行したのは、ハーストの弁護士のジェリコだった。。。

 

以上があらすじですが、本作品には、謎を解き明かす過程と並行して、語り手の医師バークリーと、ゴドフリーの娘のルーストの間の淡い恋愛が同時進行で進んで行くところに魅力があります。

ゴドフリーとルースが犯人と疑われ出すと、2人の関係にヒビが入り始めるのですが、ソーンダイクが謎を解明し、2人は更に深い仲へと発展していくことになります。

訳者解説によれば、初期の翻訳では、この2人の恋愛話が至る所でバッサリと省かれてしまっていたそうですが、この恋愛エピソードなくして、本作品の魅力は語れないように思います。

古代エジプトの歴史と絡めながら、実に上質のミステリーとして描かれており、かのレイモンド・チャンドラーが絶賛したというのも頷けます。