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「燃えよドラゴン」★★★☆

 

ディレクターズ・カット 燃えよドラゴン 特別版 [DVD]

ディレクターズ・カット 燃えよドラゴン 特別版 [DVD]

 

ブルース・リーの代表作です。初のハリウッド作品だったにもかかわらず、撮影終了後まもなく、ブルース・リーは急逝します。なので、本作品が公開されたのは、ブルース・リーが亡くなった後ということになります。

少林寺で修業を積んでいるリー(ブルース・リー)は、南シナ海に浮かぶ島で開催される武闘大会への出場を求められる。その大会は、かつて少林寺で修業を積んだものの、武闘の道を踏み外してしまったハンが開催していた。

かつてリーの妹がこの島を訪れた際に、ハンの一味に追い詰められ自害したという話を聞き、リーはこの大会への出場を決意する。

その島は、さながらハンの帝国のような有様だった。出場者たちは多くの美女たちにもてなされたが、ひとたびハンのやり方に反旗を翻せば、命すら危うかった。

そんな中、リーは妹の敵を討つべき、ハンの部下たちを次々と倒していくのだった。。。

 

 

ストーリー自体はB級映画のような感じですが、ブルース・リーの存在感はさすがです。初のハリウッド作品ということで、リーが出ずっぱりというわけでは必ずしもなく、リーの本格的なアクションが見られるのは、最後の場面くらいなのですが、それでも十分です。

 

冒頭にも触れたように、リーはこの作品を取り終えた後、間もなく亡くなります。32歳の若さということになりますが、これほどの若さで亡くなりながら、後世にここまで名を残しているということは凄いことですね。それだけ存在感のあったスター俳優だったということです。

「マイルス・デイヴィス Miles Ahead 」★★★☆


Miles Ahead Official Trailer - Don Cheadle, Ewan McGregor

マイルス・デイヴィスを取り上げた映画となれば、ジャズファンとしては足を運ばざるを得ません。マイルスといえば、常にジャズ界を牽引し、新しい道を切り開き続けたミュージシャンです。同時代を生きたモダン・ジャズのミュージシャンで、マイルスから何らかの影響を受けなかった者は皆無と言っても過言ではありません。多くの偉大なジャズ・ミュージシャンたちがマイルスの下でプレイし、何かを得てマイルスの下を離れて行きました。

 

ビバップを創設した中心人物の1人だったマイルスは、やがてモードジャズ、そしてエレクトリック・ジャズへと移っていくわけですが、そんなマイルスが70年代後半の5年間、音楽活動から身を引いていた時期があります。その時代のマイルスを取り上げたのが本作品です。

 

音楽雑誌のライターがマイルスの自宅を訪ねる。マイルスは当時荒れた生活を送っており、薬のためのお金を必要としていた。コロンビアレコードを訪れるも、取り合ってもらえず。その場にいたいかがわしいプロモーターにまんまと自分の音楽を録音したテープを盗まれてしまう。

マイルスはテープを取り戻すためにプロモーターの下へ押しかけていく。。。

 

 

本作品では、妻のフランシスとの出会いの場面が所々に挿入されます。まだピュアに音楽に打ち込んでいた時分のマイルスと今のマイルスを対比することで、その違いを浮き彫りにさせている感じです。

 

冒頭、マイルスは、♪Kind of Blueを褒めちぎるラジオを聴き、ラジオ局に電話して、アルバム『Sketch of Spain』に収録されている♪Soleaをかけるように求める場面があります。


Miles Davis - Solea

常に変化を求め続けているマイルスにとって、いつまでも何年も前のモード奏法ばかりを取り上げる聴き手が我慢できなかったという面は大いにあるように思います。

 

マイルスの不幸だったところは、自分の求める変化に聴き手が付いてきていないという思いを常に抱えなければならなかったところにあるように思います。マイルスが意欲的に新しい道を切り開けば切り開くほど、古くからのジャズファンからすれば、マイルスがどこかよく分からない方向に離れて行ってしまうように感じてしまったのではないでしょうか。

 

今でもどの時代のマイルスが好きかについては、人によって意見が分かれるところですが、個人的には、ビバップからモードに差し掛かるあたりの マイルスが最も聴きやすくて好きです。

曲でいえば、『1958Miles』に収録されている♪On Green Dolphin Streetが最もお気に入りです。


Miles Davis - On Green Dolphin Street

 

さて、本作品に話を戻すと、ハービー・ハンコックウェイン・ショーターエスペランサ・スポルディングといった大物ミュージシャンたちの登場シーンなど見所もありますが、マイルスを描くのだとすれば、もっと取り上げるべき事実があったように思います。

 

マイルスの原動力は、何と言っても人種差別問題です。本作品でも出てきましたが、当時のアメリカは、黒人が白人女性と親密にしていただけで逮捕されるという理不尽な社会だったわけです。他方、マイルス自身は、実力ある白人ミュージシャンたちを積極的に起用したりします。この辺の葛藤こそがマイルスの人格を描く上で必須のように思いますが、本作品ではそれほど重要視されているように思えません。

 

また、先に触れたように、マイルスの音楽の展開、すなわちビバップ→モード→エレクトリックという流れについて、もう少しきちんと描いて欲しかったという気がします。なぜマイルスがこうした変化を遂げ続けなければならなかったのか、それがこの作品で取り上げている空白の5年間の理由にもつながってくるように思います。

 

銃撃シーンなどのフィクションによる演出はある程度必要かもしれませんが、もう少し肝心な部分をしっかりと軸に据えていたら、なお良かったように思います。 

 

 

マイケル・ルイス「ライアーズ・ポーカー」

 

 マイケル・ルイスのデビュー作で、原著は1989年に公刊されたものです。

金融ノンフィクションで数々の力作を世に送り出している著者ですが、もともとはソロモン・ブラザーズのセールスマンを務めていました。入社後、瞬く間に頭角を現したものの、3年で退社し、ノンフィクション作家として活躍します。

本書は、ソロモン・ブラザーズ時代の経験から、投資銀行の在り方がいかに歪んだものであるかについて、皮肉たっぷりに書かれています。

 

本書では、まず新入社員たちが受ける研修について書かれています。多くの新入社員たちは、花形である債券トレーダーを目指します。そのためには、研修期間中に、担当の取締役に目を付けられることが必要となります。さもなければ、希望しない株式部門に配属されてしまうことになります。著者も当初株式部門の幹部に目を付けられてしまい、そこから逃れるために一苦労したとのこと。

 

そして、ソロモンは、モーゲージ・ローンを大きな事業に拡大した投資銀行でもあります。住宅ローンは当初、投資銀行からは相手にされなかったのですが、やがてソロモンの稼ぎ頭へと成長していきます。その担当に抜擢されたルーウィー・ラニエーリは、その中心的な役割を果たし、一大派閥を形成することになります。

このモーゲージ・ローンは、やがてサブプライム・ローンとして、リーマンショックを引き起こす立役者となったことは言うまでもありません。

 

 さて、著者は、ロンドンのセールスマンとして配属されることになりますが、そこで経験したソロモンの社風は、客の利益よりも会社の利益を優先する態度です。著者は、まだ“下等動物”扱いだった時期に、ソロモンが抱えているお荷物の債券を顧客を欺いて売りつけたことで周囲から称賛され、違和感を感じます。

「客というものが、実に忘れっぽい生き物だ」

というソロモン幹部の言葉が、そうした社風を象徴しています。

 

このように、本書は、著者の経験を通じて、投資銀行のインセンティブがいかに歪んだものであるかを描いています。特に投資銀行のトレーダーは破格の報酬を得ているわけですが、果たして高額な報酬に見合うことを彼らはやっているのだろうか、というのが著者の問題意識の根底にあります。

以下の文章に、著者の問題意識が凝縮されています。

「非常識きわまりないマネー・ゲームの中心地にいて、自分の社会的な値打ちとかけ離れた待遇を受け(自分にはそれだけの値打ちがあるのだと、いくら思い込もうとしても無理だった)、まわりを見ると、同じくらい半端な何百人という連中が、札束を数えるひまもなくポケットにしまい込んでいる。そんな状況にほうり込まれて、信念を保っていられるだろうか?まあ、人によりけるだろう。」

 

こうした著者の問題提起にもかかわらず、こうした傾向は益々助長されていき、やがてリーマンショックを迎えることになります。

そして、リーマンショックから世界が立ち直った今、再びこうした傾向が助長されているようにも見受けられます。

 

本書が書かれたのは20年以上前ではありますが、今こそ読まれるべき本のように思います。

 

R.オースティン・フリーマン「オシリスの眼」

 

オシリスの眼 (ちくま文庫)

オシリスの眼 (ちくま文庫)

 

 

1911年に書かれたミステリー作品です。

著者の作品は初めて手にしましたが、単なるミステリーではなく、淡いラブストーリーも包含する豊かな文学作品で、清々しい読後感が得られました。

 

エジプト学者のジョン・ベリンガムが忽然と姿を消す。ジョンは失踪する直前、いとこのハーストの家に立ち寄った形跡があり、その後、弟のゴドフリー・ベリンガムの家の庭には、ジョンがいつも身につけていたスカラベが落ちていた。

ジョンはしかも奇妙な遺言を残していた。父親から受け継いだ財産を弟のゴドフリーに譲るという内容だったのだが、自分の遺体が特定の場所に埋葬されなければ、財産はいとこのハーストに行ってしまうという内容だったのだ。

この難題に立ち向かうのが、法医学者のソーンダイクだ。彼の教え子で医師のバークリーがゴドフリーの医師だった縁で関わることになったのだ。

その後、切断された人骨が次々と見つかる。それはジョンの骨だと思われた。ジョンはオシリスの眼を形どった指輪を薬指に着けていたのだが、その部分だけが見つからなかったのだ。やがて、その薬指は井戸の中から見つかり、遺体はいよいよジョンのものだと思われた。

ハーストの弁護士のジェリコは、遺言を盾に、ジョンの検死を求めるが、裁判所はジョンの死亡を認めず。

ソーンダイクは、ジョンの遺体はミイラとすり替えられて大英博物館に運ばれたことを突き止める。見つかった多くの骨は、実はミイラの骨だったのだ。それを実行したのは、ハーストの弁護士のジェリコだった。。。

 

以上があらすじですが、本作品には、謎を解き明かす過程と並行して、語り手の医師バークリーと、ゴドフリーの娘のルーストの間の淡い恋愛が同時進行で進んで行くところに魅力があります。

ゴドフリーとルースが犯人と疑われ出すと、2人の関係にヒビが入り始めるのですが、ソーンダイクが謎を解明し、2人は更に深い仲へと発展していくことになります。

訳者解説によれば、初期の翻訳では、この2人の恋愛話が至る所でバッサリと省かれてしまっていたそうですが、この恋愛エピソードなくして、本作品の魅力は語れないように思います。

古代エジプトの歴史と絡めながら、実に上質のミステリーとして描かれており、かのレイモンド・チャンドラーが絶賛したというのも頷けます。

「ブルーに生まれついて」★★★★☆


Born to Be Blue [ ETHAN HAWKE, CARMEN EJOGO ] TRAILER

伝説のジャズ・トランぺッターのチェット・ベイカーを題材とした作品です。

チェット・ベイカーといえば、その甘いマスクとヴォーカルもあり、マイルス・デイヴィスらに並ぶ人気者に上り詰めながらも、生涯を通じてドラッグに溺れ、麻薬中毒と闘い続けたという壮絶で切ない人生を歩んだミュージシャンです。

作品中では、イーサン・ホークがチェットを演じており、実際にヴォーカルを披露しているわけですが、これがなかなか秀逸で、チェットの切ない雰囲気を非常によく再現しています。

冒頭、NYの名門ジャズクラブ「Birdland」にてチェットが演奏し、それを見ていたマイルスが「お前はまだ早い」と一蹴します。チェットはドラッグから足を洗ったということで、多くの人たちが再びチェットを支援していたものの、実はドラッグを捨て切れておらず、チェットはドラッグの代金を取り立てに来た密売人にこっぴどく殴られ、歯はボロボロになり、トランペットを吹けない体になってしまいます。

そんなチェットを献身的に支えたのは、チェットと映画で共演した女優の卵のジェーンです。ドラッグと闘うチェットのそばに寄り添うシェーンのおかげで、チェットは徐々にトランペットを吹けるようになっていきます。

やがて、チェットはディジー・ガレスピーの取り計らいで、NYの「Birdland」で再び演奏できることに。マイルスやシェーンらも見守る中での大舞台だったが、チェットは麻薬中毒を鎮める薬を切らしていた。ステージで演奏するために薬に手を出そうとするチェット。

結局、チェットは素晴らしい演奏を披露したのだった。ただ、薬の力を借りて。。。

 

 

この作品の中でひときわ存在感が際立つ演奏は、♪I've Never Been In Love Beforeでしょう。最初の方でチェットとシェーンがボーリングを楽しむ場面と、最後の大舞台での演奏の2回、この曲が登場します。


Chet Baker - Chet Baker Sings - 05 - I've Never Been In Love Before

チェットの名演といえば、♪My Funny Valentineが真っ先に思い浮かびますが、個人的には、この曲が最もチェットらしい切なさと脆さを醸し出していると思います。チェットが抱えている闇の深さを象徴しているように思います。

 

作品のタイトルにもなっている♪Born To Be Blueもなかなか味があります。 


Chet Baker - Born to Be Blue

 

欲を言えば、チェットの生涯をもう少し早い時期から描いてほしかったというような気もしますが、ただ、これだけ波乱万丈な人生ですから、ある局面を切り取って描かざるを得なかったのも理解できます。

いずれにしても、ジャズファン必見の映画であることは間違いありません。

 

クリスチャン・ボルタンスキー展@東京都庭園美術館

久々に、東京都庭園美術館に足を運びました。

ちょうど、クリスチャン・ボルタンスキー展が開催されていました。

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ボルタンスキーといえば、4年ほど前に豊島に展示されている「心臓音のアーカイブ」を見たことがあり、その異次元に迷い込んだ感覚が強烈に印象として残っていました。2006年には高松宮殿下記念世界文化賞を受賞されています。

今回の展覧会では、出展作品自体は割とこじんまりとしていたのですが、ボルタンスキーらしい展示でした。

これは《眼差し》という布に写真をプリントした作品と、《帰郷》という金色の塊の作品。《眼差し》は、ギリシア人を被写体とする写真を使っているとのこと。《帰郷》は、衣類を山にして重傷者を包むのに使われる金色の覆いをかけたものだそうです。

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《アニミタス》は、チリのアタカマ砂漠で撮影されたもの。標高2千メートルを超える高地にあるこの砂漠で、ボルタンスキーは数百の風鈴を設置しています。この風鈴たちはいずれは消滅することを前提に設置されています。 

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 《ささやきの森》は、豊島で撮影されたもの。《アニミタス》に比べると生命感が感じられる映像となっています。

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以下、ボルタンスキー自らが作品を解説しているので、参考になります。


Boltanski interview

 

それにしても、晴れた平日の昼間の庭園美術館はとても穏やかで、心が落ち着く空間です。

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とても都心のど真ん中にある空間とは思えません。

こうした都心の空間は大体が江戸時代の大名屋敷か明治の宮家の邸宅だった場合が多いですが、この庭園美術館朝香宮家の邸宅として用いられたものです。

こういう空間は是非今後とも末永く引き継がれていってほしいものです。

レイモンド・チャンドラー「リトル・シスター」

 

リトル・シスター (ハヤカワ・ミステリ文庫)

リトル・シスター (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 

レイモンド・チャンドラーによる1949年の作品です。村上春樹氏の翻訳だけあって、すらすら安心して読めます。

 

私立探偵のフィリップ・マーロウの下へ、オーファメイという若い女性が依頼人として訪ねてくる。兄のオリンを探してほしいという依頼だ。

マーロウは、オリンの所在を追っていくうちに、オリンがギャング絡みのトラブルに巻き込まれていることに気付いていく。ホテルに行くとそこには簡易アパートに住む男の遺体があった。そして若い女性が逃げいていく。男の遺体のかつらの裏地から出てきたのは1枚の写真の受取証だった。その写真に写っていたのは、ハリウッド女優のメイヴィス・ウェルドと一人の男。

写真に写っている男は、殺し屋のギャングだった。写真に写っているときは、ちょうどギャングのボスが殺害されたときだったのだが、その殺し屋は刑務所の中にいたはずであった。その写真は、殺し屋が刑務所の中ではなくシャバにいたという証拠だったのだ。そして、その写真を撮った人物こそ、オリンだった。

オーファメイは、オリンからの連絡が途絶え、オリンがギャングから揺すろうとしたお金を独り占めしたのではないかと疑い、マーロウの下へやってきたのだった。そして、メイヴィスはオーファメイの姉であった。オリンはメイヴィスを使ってお金をせしめようとして、ギャングに殺された。そして、オーファメイはギャングからせしめたお金を持って、戻っていった。。。

 

ハリウッドも巻き込みながら展開していくストーリー展開は大変スリリングなのですが、最後、一体誰が誰を殺したのかがいまいちよく分からなくなってしまい、困惑していたところ、村上春樹氏の解説にも同じような指摘がありました。村上氏も、この小説を何度も読み返しているものの、結局誰が誰を殺したのかと訊かれると急には答えられないと述べており、それだけ、プロットにやや無理があるというのがどうやら衆目の一致するところと言ってもよさそうです。この作品を執筆していた頃、チャンドラーはちょうどハリウッドの仕事に忙殺されており、この作品の執筆に集中できなかったようです。

 

さはさりながら、この小説の雰囲気というか空気感という面で見れば、チャンドラーらしさにあふれていますので、読み終えた後はそれなりの充実感を味わえることは間違いありません。